こんにちは、当ブログ【花の輪】管理人の「ふじわら きくえ」です。
岩手県・気仙管内(大船渡市、陸前高田市、三陸町など)で、初心者さん向けにお花の楽しみ方を伝えている、フラワーアドバイザーです。
はじめましての方へ、私のプロフィールと、当ブログ【花の輪】を運営することになった経緯を簡単に紹介します。
少しだけお付き合いしてもらえたら嬉しいです。
Contents
管理人のプロフィール

【 名前 】 ふじわら きくえ
【 年齢 】 アラフィフです
【 住所 】 岩手県大船渡市
生まれも育ちも岩手県大船渡市です。
趣味でガーデニングを楽しんでいましたが、花の種まきから苗を育て始め、その奥深さについついハマってしまい、基本的なことから学びたくて花の専門知識を身につけました。
< 経歴 >
2009年 | 日本ハンギングバスケット協会 ハンギングバスケットマスター資格取得 |
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2010年 | DFAフローリスト資格認定協会 フローリスト教師資格取得 |
日本園芸協会 ローズ・コンシェルジュ資格取得 |
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日本園芸協会 ガーデンコーディネーター資格取得 |
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2011年 | RHSJコンテナガーデニング協会(現在は協会消滅) コンテナガーデニングマスター資格取得 |
JFA日本フラワーアカデミー フラワーアレンジメントビジネス資格取得/認定校 |
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2012年 | JFA日本フラワーアカデミー プリザーブドフラワービジネス資格取得/認定校 |
現在は、フラワーアドバイザーとして活動中。
初心者向けの教室や講座で、花の育て方やアレンジ方法をアドバイスしています。
まだまだ伸びしろ200%のフラワーアドバイザーです。
フラワーアドバイザーになったきっかけ

実は、もともと「お花の先生」や「フラワーアドバイザー」になるつもりは全くありませんでした。
花苗から自分で育ててみたくて、種まきしたら「発芽しないじゃん」と失敗したのが全ての始まりです。
影響を与えてくれた恩師の方々
種まきから花づくりを教えてくれたのが、恩師の柴〇先生です。
人づきあいが苦手だった私に、花の基礎だけでなく、人と人とのつながりやコミュニケーション力を教えてくれました。
盛岡の恩師、吉〇先生からはハンギングバスケットの基礎を教えてもらいました。
技術的なことだけでなく、ボランティアやイベントなどに参加する機会をいただき、花活動の意味を学ばせてもらったと思います。
花の育て方や植え方を学んだ私は、アレンジデザインのことも学びたくなります。
なかなか欲張りさんですね(笑)。
そんなわけで、フラワーアレンジメントの基礎を教えてくれたのは恩師の太〇先生です。
何事にも自信なさげな私に、アレンジメントの基礎だけでなく、誰かに教えるという伝える力を叩き込んでくれました。
ひよっこフラワーアドバイザー誕生
恩師に「人に教えられるようになって初めて知識が身につく」と尻をたたかれ、私はしぶしぶフラワーアレンジ教室の講師を経験しました。
自信なんてこれっぽっちもないけれど、自分が身につけたありったけの技術とトークで、なんとかやり遂げた教室の後、
「次の教室もすごく楽しみにしています」
と言われ、私の人生で味わったことのない感情が込みあげたことを今でも覚えています。
そうです。
この経験こそ、私がフラワーアドバイザーになったきっかけです。
東日本大震災で失ったものと得たもの

私の経歴を見て「おや?」と思ったなら、なかなか鋭いです。
ちょうど東日本大震災の前後にやたら花の勉強をしまくっていますが、この時期も私の人生にとても大きな影響を与えたと思います。
大切なものと花への熱意を失った日々
「生徒さんたちが楽しみにしているのなら、次の教室も頑張ろう」そう思い、自分を奮い立たせ始めた時期でした。
2011年3月11日、東日本大震災に遭遇します。
津波の被害がひどかった大船渡の町の姿は、本当に痛ましくて痛ましくてたまりませんでした。
避難所から被災した自宅に戻ると、庭で種から育てていた大切な花苗たちは、ほとんどが津波で流され、ほんの何個かがポツンポツンと悲しげに転がっている状態です。
自宅の敷地は、近所の方の自動車や壊れてしまった家の木材、誰かのアルバムや洋服などが津波で山ほど流れ込んできていて、ひゅーひゅーと風の音しかしていませんでした。
「次の教室もすごく楽しみにしています」と言っていた釜石市鵜住居(宝来館のちかく)生徒さんたちとの約束も果たせないまま、各々の避難生活を送っていました。
そんな日々がひと月、ふた月と過ぎていき…
私の花に対する熱意は、どこかに消えてしまったのです。
花好きの仲間たちに救われた日々
震災の直前まで、コンテナガーデニングの基礎を学ぶため東京に通っていました。
でも、新幹線がしばらくストップしていたため、次の講座に行くことができません。
「東京行くのはあきらめよう」と思っていたころ、同じ学び舎の仲間たち(2回くらいしか会ったことない)が、連絡が取れない私のことをとても心配していたことを知ります。
家族は「あきらめずに行け」と私の背中を押しまくり、いろいろ調べて夜行バスなら東京へ行けると説得しまくり、しぶしぶ東京へ行くことに。
当時は予約で、釜石駅 → 遠野 → 池袋 まで夜行バスで行けたんですよね。
苦手なバス(しかも夜行バス)に揺られ、東京までの道中はひどい車酔いでトイレを完全にひとり占めし、池袋に到着。
講座会場では多くの花仲間から励ましの声をもらい、ちょっとビックリします。
東京、神奈川、埼玉、愛知、宮崎、北海道、全国から集まった花仲間です。
その日の夜はお食事会の席までセッティングしてもらい、お互いに状況報告をして楽しい時間を過ごしました。
「東京行って良かったな」と、素直に感じた時間です。
コンテナガーデニングを学んだ花仲間たちは、この後も何度も大船渡に来ては、末崎や赤崎などの仮設住宅で地元の人たちに、花のボランティア活動をしてくれました。
そう簡単にできることじゃないと思います。
岩手にいるハンギングバスケットマスター仲間も、物資がなかなか流通しない時期にもかかわらず、たくさんの生活用品を運んできてくれました。
なかなかできないことだと思います。
人とのつながりって、こんなにも温かいものなんですね。
震災で失った大切なものは確かにあったけど、同時に得られた大切なものも確かにあったと思います。
私の場合、花仲間が「震災」を通して得た宝物なんじゃないかな、そんな風に思っています。
「花の輪」が目指すもの

当ブログ「花の輪」が目指すものは、
- 花の「楽しみ方」を伝える
- 花の「知りたい」を伝える
- 花好きの「仲間」がつながる
こんな感じです。
そしてその目的は、「大船渡を花の町にしたい!」という個人的な願望が、花好き仲間の願望となって、本当に大船渡が花の町になること。
四季を通じて、たくさんの人々が大船渡に来るようになったらうれしいなと思うんです。
想像しただけでワクワクするんですよね。

参考までに、国営ひたち海浜公園(ひたちなか市)の「青の絶景」と呼ばれるネモフィラたちは、2019年のGWに58万人も訪れるほど人気ですよね。
話題になったのはずいぶん前ですが、ネモフィラ人気はいまだ衰えずなのがステキすぎます。
こんな風に、大船渡に行かなきゃ見れない「花の絶景」が作れたら最高だなーと、ほんと個人的に勝手に思ってるんですよね。
とは言え、同じような思いの花好き仲間たちが集まれば、叶えられないことはないんじゃないかなと思うんです。
大船渡を花の町にしたい!
「大船渡を花の町にしたい!」という気持ち、実はずっとずっと前から持っていました。
花好き仲間の何人かは、そんなこと言ってたかもねと思い出してくれる(たぶん)かもしれません。
とある場所でフラワーアレンジメント教室をさせてもらい、「私は大船渡を花の町にしたい!と思っています」と、生徒さんたちの前でご挨拶したときのことです。
ある生徒さんが帰り際、私に近づいてきてこう言いました。
「先生、その気持ちは行く先々で伝えたら良いと思います。その思いはきっと伝わりますよ。」
おもわずハグしたくなりました(笑)。
私が生きているうちに「大船渡が花の町」になったら最高なんだけど、こんな思いが花好き仲間にずっとずっと伝わって、いつか本当に形になってくれたらうれしいなと思っています。
最初は小さな「花の輪」でも、少しずつ大きくなってくれたらうれしいです。
【花の輪】の管理人
ふじわら きくえ